父親がAさんという仕事仲間の連帯保証人になった。
…と聞くと、悲惨な結末を人は想像するかもしれない。

結果として、ご想像通りの悲惨な結末になった。

父親が家を失ったのはぼくが小学校4年のときだった。
父親が家を失ったということは母親もぼくも
住むところを失くしてしまったということだ。

家の中でメリヤス編みの小さな工場をやっていて
まあ貧乏だったがそうやって両親は毎日働いていた。
その機械も2台とも家と一緒に借金のカタにもっていかれた。

両親は家と仕事をいっぺんに失くした。

しばらく親子3人でどうやって暮らしていたか
ぼくには当時の記憶があまりない。
3人で誰かの家に借金のことで謝りに行き
玄関先に立ってドアが開くのを待った
その光景だけ妙に記憶に残っている。
深夜だったし、凍てつくくらい寒かったからだろう。

ぼくにとって4つ目になる転校先の小学校は、
両親の出身地である九州の小さな離島だった。

最初にそこそこ強そうなやつを見つけて、
喧嘩をふっかける。そいつは予想以上に強くて
馬乗りになられた。でもこれでいい。
こうやって“やられっぱなし”の人間じゃないことを
見せておけば今後いじめられないことを
転校なれしているぼくは知っていた。

両親は島に新しくできた老人ホームで懸命に働きはじめた。
そこで仕事をしていた約8年が2人にとって
最も何事もなく安定した歳月だったろうと思う。

ぼくは島の小学校をでるとそのまま島もでていき
本土の中学校に入学して下宿生活をはじめた。

両親はぼくを医者にしようとしていた。
最初は自分もそのつもりだった。

しかし高校をでて医学部に進学するはずが
ある事情でぼく自身の出身地である大阪にもどり
バイト生活をはじめた。その仕事のひとつが
雑誌、広告ライターのアシスタントだった。

大学にいく気はすっかり消えうせた。
何せ、一般人じゃ絶対に会えないような
有名人にいくらでも会えるのだ。
会って本音を聞けるのだ。勉強になった。
弱い部分や素顔を見せてくれたりするし、
知り合いになって一緒にお酒を飲んだりもする。
ゴーストとして本を書いたりもする。

お笑い芸人、
アーティスト、
起業家、
作家、
冒険家、
…。

少年マガジンという週刊誌の募集をたまたま見て
ひと晩でマンガ原作を書いたら3ヵ月後に賞金をもらったりもした。

仕事の辛さもわかってきたころ、独立させてもらい
とりあえずは順調に仕事をこなし、現在にいたっている。

父の目が見えなくなりはじめたころ、
家では喧嘩が絶えなかったと聞く。_
ぼくは一緒に住んでいなかったので知らなかったが
精神的にほんとうに辛かったろうと思う。

父は、こんどは仕事と田舎に建てた家と、
目を失くすことになった。前の借金よりひどい。
何せ、がんばっても視力はもどってこない。

普通の人なら気持ちがボキンと折れるだろう。
ぼくなら絶対におしまいだ。
父の真似はできない。

けれども父は普通の人じゃなかった。
老人ホームで働いてたころも入所者を
奇跡的に治すので「特別な人」と思われていたらしい。
人を幸福にするのだ。

目が見えなくなったら、なぜかその力がうんと強くなった。
なぜだろう。不思議でならない。

そこでぼくも勉強することにした。
心強いのは、「本物」が存在してそれが父親であることだ。

人間としては口下手で酒飲みの普通のじいさんだが、
氣の専門家としてのパワーは目を見張るものがある。
なぜなら専門家になる前から高齢者を治していたし、
今も鍼を刺さずに指先で人を治したりしている。

目が見えなくなる不幸を背負ってから
人を幸福にするパワーが増すだなんて、
まるで中国の故事「人間万事塞翁が馬」を地でいく
不思議なじいさんである。

人を病気にしたり、不幸にしたりするのが氣なのだという。
健康で幸福になりたいなら氣を知ること。
ぼくも学んでいる。

理屈じゃない。
感じればいい。
不幸な人は感じかたを知らないだけなのだ。

ぼくも病気がよくなって
健康になり仕事が順調になったりしている。

氣というのは本当におそろしいものだ。

今の日本は氣が乱れているという。
このことに気づいている人は結構多いはずだ。
そこで金の実践開運と名づけてこのような活動をすることにした。

いけだ法弘(ほうこう)
アップワーク株式会社代表取締役
ライター 編集者 マンガ原作者、受賞歴 週刊少年マガジン原作賞入選

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いけだ法弘プロフィル【金の実践開運 氣のいけだ】